光の渦

子どもの頃の原体験が、今の僕を形成している。それは当たり前すぎることではあるけれど、これほどまでに人生に影響を与えるものなのか、それとも美化された過去がこの原体験を大きく映しているのか、僕には分からない。

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1.思い込み

 ふたを開けると、鍋の中はすでに対流を起こしていた。
 ぐつぐつと煮えたぎっているその音は、僕たちの食欲を一層増大させているようだった。
 「さあ、もういいだろう。」
 という鉾田さんの声を待ちわびていたように、僕たちは交代で鍋の中を突いた。

 「今日は特にうまい魚が入っているからな。」
 鉾田さんの言葉は鍋の熱気以上に僕たちの心を温かくしてくれるようだった。

 しばらくは咀嚼することだけに夢中だったが、腹の中が少し落ち着いて来た頃になってようやくとおるが会話のために口を開いた。
 「これ何の魚なの。」
 と聞いてみると。
 「さあ、なんだと思う。」
 逆に聞き返されて、そのまま考え込んでしまった。
 「めずらしいものなの。」
 今度はモモコが聞くと
 「どうだろうな。」
 と、それにも鉾田さんは答えてはくれなかった。

 そんなもったいぶった言い方をする鉾田さんは珍しいので、これは何かあるなと僕はとっさに思った。
 そんな僕の思考を見抜いてか
 「ココはどう思う。」
 と、僕には鉾田さんの方から聞いてきた。
 「わかんないよ。」
 僕は既に、そんなことを聞いてきた理由の方に興味が移ってしまっていたので、先を急ぐようにさっさと答えてしまった。
 そんな僕の様子をどう感じたのかは分からないけれど、そこで鉾田さんは、しばらくは続きを話すことを止めてしまったようであった。

 
 それからは特に注意してその魚を味わってみたが、僕には普段家で食べているタラとの区別がつかなかった。
 もしかしたら僕が知らない魚なのかもしれないなぁ、などとなんとなく考えていた。
 そのまま黙々と食べ続け、ようやく鍋の底が見えて来た頃になって再び鉾田さんが先ほどの続きを話し始めた。
 「実はこれはタラなんだ。」
 「・・・?」
 一瞬虚を突かれた僕たちは咄嗟には言葉が出てこなかった。

 ようやくいつものせっかちなモモコに戻って
 「タラってあのタラ。」
 と質問を始めると
 「そう、そのタラだよ。」
 と鉾田さんも満足そうに答えた。

 僕の不意を突かれた感情が一瞬間狭隘になってしまい
 「だって特別な魚だって言ってたじゃないか。」
 ちょっと批難がましい口調になってしまった。
 「いや、特においしい魚だって言ったんだ。特別とは言っていない。」
 しかし、鉾田さんにスルリと躱されてしまった。
 「どっちだって変わらないじゃんか。」
 むきになって言いつのると
 「いや、よく考えてごらん。だいぶ違うから。」
 それは、高ぶった感情を鎮めるようにと言われたように感じられた。

 「今日のタラが何か特別なものだとか。」
 今度はとおるが引き継ぐと
 「いや、おいしいタラだけど、特別なものではない。」
 涼しげな顔で鉾田さんは答えていた。

 どういう風に考えて、どう質問をするべきなのか、思わぬ展開に出遅れた僕たちの思考回路はその方向性を見失ってしまった。

 「いいかい、俺は特においしい魚って言ったんだけど。」
 何か種明かしでもするようにゆっくりと鉾田さんが話し始めた。

 「それがもし、何か適当な珍しい魚の名前を言っていたとしたら、みんなはそれを信じたかな。」
 相変わらずモモコが真っ先に答えた。
 「たぶん信じたと思う。」
 僕ととおるも無言でうなずいた。

 「でもそうは言わなかった。」
 僕は試に言ってみた。
 「そう、嘘は言わなかった。」
 鉾田さんは少しだけ言葉のニュアンスを変えて答えた。

 「だけど、みんなは食べてみてこれはタラじゃないかって少しは思ったと思うんだけど。」
 それにもみんながうなずいた。
 「だけど、俺が最初に特にうまい魚だって言ったから、まさかそれが普段食べなれているタラではないだろうと頭の中で排除してしまった。」
 そこまで言うと、鉾田さんは一度僕たちの表情を確認するようにしてから話を続けた。
 「そこで固定観念に陥ってしまった訳だ。」

 「つまりは思い込みってこと。」
 僕が口を挟むと
 「そう思い込みってことだよ。」
 その言葉は鉾田さんの当を得たようで、僕は合格を知らされた受験生のような気持ちになった。

 「でも、その思い込みが何かと危うい。」
 話はまだその先があるようであった。
 「例えば、今、他の魚って言ったけれど、ぜんぜん違う動物や植物の名前を挙げていたらどうだったろう。」
 確かに、全く違うものだと思って魚を食べたりしたら、なんだかだいぶ具合が悪そうだし、おそらく鉾田さんが言いたいのは、鍋の具の話よりも、もっと日常的な警告なのだろうと僕は考えた。

 そんな僕の思考に割って入るように
 「やっぱり信じたんじゃないかな。」
 と、少し考えていたモモコが答えた。
 「どうして。」
 「だって鉾田さんが言うんだもの。」
 再び僕ととおるもうなずいた。
 「それはありがたいけれど、それもやっぱり思い込みじゃないかな。」
 そうだとは思いながらも
 「でもそんなこと言われたら人間不信になっちゃう。」
 僕は困惑の表情を浮かべた。

 「そうだね、持っている価値観を覆されるということは情緒的に不安定にさせられるよな。」
 三人ともにおそらく同じ表情でうなずいた。
 「それでも、俺たちは経験則を価値観に置き換えて生きている。」

 その意味を少し考えてから、試みに僕は言った。
 「熱湯は熱い。」
 すると続けて
 「タラはうまい。」
 と、とおるも言った
 「鉾田さんは嘘をつかない。」
 モモコの言葉を待ってから、鉾田さんはうなずいた。
 
 「だから、しっかりとした価値観を積み上げていくことは大切なことではあるんだけど、そこに先ほどの思い込みという落とし穴が潜んでいるという訳だ。」
 僕はようやく話の出口が見えたように思えた。

 「どうすればそれを防げるの。」
 とおるの質問に鉾田さんは声を出して笑い始めた。
 「それが分かれば俺は新しく宗教を始めるね。」
 今日の鉾田さんはやっぱり、もったいぶった言い方をするようであった。

 「結局、それを防ぐのは難しいってこと。」
 モモコが結論を急ぐように言うと
 「そう、それでもそのことを知っていて欲しいということだよ。」

 どうやら僕たちの見識を広げて、且つ思考を柔軟にもたせる為の鉾田さんの一芝居だったようだ。

 「それって二律背反しているね。」
 僕の言葉に
 「宇宙の真理か、人間の限界か、挑め若者よ。」
 今度は急に芝居がかった言い回しをする鉾田さんに
 「誰の言葉。」
 と僕が聞いてみると。
 「君の目の前にいる哲学者。」
 今度は悪戯っ子のような目をして答えた。

 「どちらかというと詐欺師に見える。」
 急に覚めた様子のモモコに慌てた鉾田さんは
 「でも、おいしい魚の暗示は効いただろう。」
 と、取り繕うと
 「いつもよりおいしくいただきました。」
 と、今度はとおるが笑顔で答えるのだった。
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