光の渦

子どもの頃の原体験が、今の僕を形成している。それは当たり前すぎることではあるけれど、これほどまでに人生に影響を与えるものなのか、それとも美化された過去がこの原体験を大きく映しているのか、僕には分からない。

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6.邂逅

 僕は約束を守った。
 次の年も当然といった様子で参加をした。
 それまではずっと、あの、何かに酔いしれていたような三日間の感覚が懐かしかった。
 だから、キャンプに参加する集まりが始まるまでは、待ち遠しくて仕方がなかった。


 後から両親に聞いた話では、僕はキャンプから帰ったその日は疲れてしまってとても不機嫌な様子だったそうだ。
 でも、翌日からは、しばらくの間、キャンプの想い出話ばかりをしていたようだった。
 そして、秋、冬が過ぎてもそれらの想い出はほとんど色あせることはなかった。

 そして、最初の顔合わせが行われる春の日がやってきた。
 
 僕が最初にしたことといえば、去年ズボンのポケットに入れっぱなしで返すのを忘れて、持って帰ってしまった乾電池を本橋さんに渡したことだった。
 しかし本橋さんはそれを覚えてはいなかったらしく、不思議な様子でその乾電池を受け取ると、早速使用しようと試みたが、当然使えるはずもなく、それが僕の悪ふざけだと思ってか無情にも怒られてしまった。
 僕は、ずっと捨てずに持っていたというその気持ちが伝わらなかったことが残念であった。

 その本橋さんとはその年も同じ班になった。
 相変わらず、いつ見ても女性とばかり話をしているようであったが、やはり優しくも頼れる大学生であった。
 しかし、その時四年生だった本橋さんはその次の年のキャンプには、大学を卒業してしまった為にもう参加をしなかった。
 僕は本橋さんがいないキャンプが、とても不自然で、いつも楽しく過ごしてはいても、心のどこかに常にぽっかりと穴が空いているような感覚であった。


 じんべー君も次の年は参加をしたようだったが、班が違ってしまったために、僕はあまり話をする機会もなかった。
 いつも見かけると、班の人たちと楽しそうに話をしているので、わざわざほかの班の僕なんかと話をする必要がなかったのかもしれない。
 そして、その次の年は中学生になったところで来ることをやめてしまったようであった。
 それを知ったときには少しさびしいような気はしたが、なぜか本橋さんの時ような感覚にはならなかった。


 ちょろさんとは、それ以降一度も会うことがなかった。
 僕はちょろさんのテキパキとしたところや、みんなを引っ張っていく力強さを尊敬していたので、すごく残念に思っていた。
 やはり中学生になる年だったことに原因があるのではないかと僕は推察をしていた。


 そのちょろさんと同じ年の倉田君は続けて参加をしていた。
 中学生になっても基本的にあまり変わった様子はなかったが、僕には班が違っていても、どこかで行き会うと自然に話しかけて来てくれて、僕にとってはとても安心をさせてくれる存在だった。
 その自然な様子からか、きっとこの人はいつまでもこのキャンプに参加をしているのだろうと、僕は想像をしていた。


 大学生のしょうこさんは相変わらずの心配性で、僕とは班が違うのに、会うたびに「ちゃんとやっているか」とか、「下級生の面倒を見ているか」とか、そんなことばかりを言い続けていた。
 正直、うるさいなと思うことはあったけれど、でもそうやっていつでも僕のことを見ていてくれることが嬉しかったし、班が違っても気にしてくれるしょうこさんの優しさや正直さに、かえって気付けたような気がした。


 隣の班だったこうた君はずっと参加をしていた。
 その後、結局同じ班になることは無かったが、相変わらず会うと自分の班の自慢話ばかりをしていた。
 しかし、何かの拍子に見せる仕草や様子が年々大人びてきているようで、そんな時はいつまでも変わらない僕がなんだかひどく子どもっぽく思えて、劣等感を覚えさせられた。


 高校生のかずし君もその後ずっと参加をしていた。
 そして、いつ会っても相変わらずそのままのかずし君だった。
 次の年のキャンプでは、小学生の男の子を後ろから羽交い絞めにしておいて、そのまま股間を握って「おむすび」と言う遊びをしきりに行っていたが、それは後になって問題になったようで、保護者の方からのクレームが殺到したという話であった。
 また、子どもたちの前で煙草を吸ってみせたことも発覚し、大学生たちからは相当に怒られたようだった。
 大学生からすると、いつでも危険人物の最右翼であるようだった。
 それでも本人はいつでも自分なりに楽しんでいるようだったし、奇想天外な発想をもっていたり、僕たち小学生と近い目線でものを見ているかずし君が僕は好きで、一緒に居ることが多かった。
 しかしそのために僕も随分と大学生たちに警戒をされていたようだった。


 かずし君と同じ年のミミさんはずっと優しかったし、いつでも僕の味方だった。
 だから僕はミミさんの前にいると、とても正直で思慮深くなれた。
 そのために僕は、その後の人生において無意識のうちにミミさんが理想の女性像になったようだった。
 これもまたこの原体験が僕に与えた影響のひとつなのだろう。
 しかし、もちろん当時はそんな風に考えてはいなかったし、恋心などという感情からは程遠く、どこか特別な人
ではあっても、結局は優しくて良い人くらいにしか思ってはいなかった。
 また、ミミさん本人がどういった心境で僕をキャンプ中の仮想恋人に見立てたのかは、今でも僕には分からないし、それには特に興味もなかった。

 
 大学生だった鉾田さんは僕たちの知らない理由で大学を辞めたようであった。
 そのために生活には苦労をしているような話をどこかで聞いたことがあった。
 しかし、毎回キャンプには来てくれていて、そんな苦労の事などは微塵も見せずに、いつもその恵比寿顔に笑顔を乗せていて、そしていつでもみんなに幸せを配って回っていた。



 事件や事故もいくつかあった。
 
 肝試しを行うので、そのウォーミングアップとして大学生が話をした、キャンプ場での首つり自殺の話があまりにもリアル過ぎて、何人もの子がその晩は怖くて眠れなくなってしまったことや、管理人さんに、本当に鹿肉を食べているのかと聞いてしまった小学生がいた為に、全員が活動を中止して一堂に集められて説教をされてしまったこととか、またはキャンプファイヤーの聖歌ランナーが途中で道を間違えて崖から落ちてしまって、その炎の軌跡を不思議な様子で見守っていたことなど、数え上げれば限がないくらいだった。
 
 そんな事件や事故などは、大人の人たちにとっては眉をひそめるような出来事であったのかもしれないけれど、僕たちにはその激しさこそが心から笑えて、そして現実を生きているという生の実感が野太く感じられた。

 普段の生活においては、あまりにも周りのシステムが完備され過ぎていて、朝起きてから夜寝るまでがどこかですでに決まっている中で、少しの空いた時間にようやく自分たちの子ども的アイデアを発揮することで抑揚が少ない生を猛ることが許される毎日だったが、このキャンプの間のひとときだけは、この世界を動かしている大きな時間の流れを感じられて、子どもなりにも自分たちが自分たちの生を貫ける空間であった。

 しかし、僕はやはり子どもであるがゆえに、そんな時間は繰り返しながらいつまでも永遠に続くものだと思い込んでしまっていた。



 そして、中学生になると、多くの人たちと同じように僕も部活動の忙しさや、ほとんど参加ができないなかでの参加費の支払いについて考えるように親から話をされていて、そのうちにその理非を説得されてしまい、不本意ながらも不参加への同意を余儀なくされることになった。
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