光の渦

子どもの頃の原体験が、今の僕を形成している。それは当たり前すぎることではあるけれど、これほどまでに人生に影響を与えるものなのか、それとも美化された過去がこの原体験を大きく映しているのか、僕には分からない。

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2.困惑

 大きく息を吐くと、気持ちを落ち着かせるために僕は一度目を閉じてみた。
 相変わらず真夏の太陽は容赦なく照りつけて、その光は僕たちの体を通過するたびに、少しずつ体力と気力を奪い去っていくようであった。
 瞼の裏側でグルグルとその光の結晶が大きく渦を巻き、体の中の方へと落ち込んで行く様な気がした。
 どこかで覚えている感覚だと一瞬思ったが、すぐにより現実的な思案へと心が引っ張られていった。

 懐かしい、キャンプ場へと続くあの道を、大学生になった僕はスタッフとして歩いていた。

 しかし、その感慨に耽る余裕が今の僕には全く無かった。
 当初から心配していた通り、やはり班の編成内容に問題があるようであった。
 五人の小学生と一人の中学生そして僕、これが僕たちの班の内訳であった。
 
 もちろん他の班も同じような編成になっているので、きっと大変な思いをしているのは僕一人では無いとは思うけれど、それにしてもやはりこの班編成は無謀としか僕には思えなかった。

 「ねぇ、ココ。いったいいつになったらキャンプ場に着くの。」
 さっきから同じことを何度も聞いてくるのは、小学四年生のあつしだった。
 「まだ、もう少しかかると思うんだよね。」
 僕の要領を得ない回答はあつしを一層いらだたせているようであった。
 「さっきも同じことを言っていたよ。」
 言われるまでもなく、僕も充分にそれを承知していた。
 「ごめん、ちょっと俺もよく分からないんだ。」
 僕は出来るだけ正直に答えるようにした。
 「だって、大学生は下見に来てるんじゃないの。」
 痛いところを突かれてしまい、僕は少し言葉を選ぶために口を閉じた。

 確かに下見に来ていない僕には責められても仕方がないところはあると思うけど、僕にも東京に下宿しているため、そう簡単に地元には帰っては来れないという言い分はあるし、第一に今回の班編成が決まった時に僕は最後まで反対をしていた。
 だから、あつしから責められることは、僕にはただやるせなさが募るばかりであった。
 しかし、だからといってあつしに他意がないことは分かりきっているので、結局どうにかあつしをなだめる以外に、僕にはし様がなかった。

 「同じような道だからな、分からなくなってしまうんだよ。」
 僕のはぐらかしには乗らないぞとばかりに
 「でも時間ぐらいはわかるでしょう。」
 鋭い追及が及んできた。
 「大人と子どもでは歩く速さが違うからなぁ。」
 「じゃあ大人の速さでどのくらい。」
 あつしのいらだちは絶頂に差し掛かっているようだった。
 「いや、時間は計っていないんだよ。」
 もうこんな情けない大学生は相手にしていられない、とばかりにプイと顔をそむけるとさっさと班の前の方に歩いて行ってしまった。
 僕は心の中でため息をつくと、班の中の他の子たちの様子を観察した。

 
 先頭を歩いているのは中学生のまさこ。
 ちょっと我が強いところは難点だけど、今回のような班編成では何かと頼りになる班の子たちのお姉さん役であった。
 その隣にはキャラコ。
 そのおもしろいあだ名に合致した愉快なキャラクターの四年生の女の子だ。

 そして、今その二人にはあつしと六年生のジュンタが絡むようにしている。
 ジュンタはいわゆる男勝りなタイプのカラッとした性格の女の子で、自分から積極的に誰かに話しかけるようなことは無かったが、なぜか四年生のあつしが妙に懐いていてジュンタもあつしが話しかけるとにこやかな様子で相手をしているようだった。

 その後ろには五年生のコウスケと六年生のバトが何かテレビゲームの話に興じていた。
 二人ともおとなしく礼儀正しいいわゆる普通の小学生なのだが、僕にはどこか覇気が無いように感じられて少し物足りない気がしていた。


 あつしの質問攻めから解放された僕は、班のメンバーに問題がないことを確認すると、突然、頭の中にこれまでのことが次々と浮かび上がってきた。



 大学生になった僕は春休みを地元でアルバイトなどをして過ごしていた。
 しかしそれ以外には、たまに友達と遊ぶことぐらいしかやることがなかった。
 だから、以前キャンプに行った仲間からの招待状が届いた時には本当に嬉しく思った。

 指定された日が来ると、僕は勢い込んで自転車にまたがった。
 そしてそこに書かれていた地図を頼りに事務所を目指していると、あの夏の暑いキャンプが俄によみがえってくるようであった。
 
 みんなは元気なのだろうか。
 果たして会いたい人たちと再会出来るのだろうか。
 僕は期待に胸を膨らませていた。

 しばらく郊外へと続く道をクルクルと経巡っていると一軒の古びたアパートの前に出た。
 そういえば、僕が子どもの頃は駅からほど近いビルのフロアーを事務所として広く借り受けていたような気がしたので、これはちょっと想像とちがうなぁ、というのが僕の最初の感想だった。
 少し様子を見るようにしていたが、このままでは何も始まらないので、思い切ってアパートの扉をノックしてみた。
 出てきたのは僕と同年代のにこやかな笑顔の青年で、僕の姿を認めると
 「やぁ久しぶり、ココだね。」
 と言うや、僕の体を抱えるようにして、中へと導きいれた。
 僕にはそれが誰なのかはよく思い出せなかったが、きっとあのキャンプに一緒に参加していた人なのだろうとあたりをつけていた。
 
 中には狭い部屋に7~8名ほどの人がテーブルを囲んで座っていて、ほとんどの人が誰かは分からなかったが、かずし君だけは特徴的な大きな丸顔ですぐにそれと分かった。
 「こんにちは。」
 僕の気恥ずかしげな様子に
 「まあ座りなよ。」
 と、そのかずし君が早速声を掛けてくれた。
 そして、みんなして順に自己紹介をしてくれた。
 倉田君、こうた君そしてかずし君、僕が知っているのはそれだけだった。
 他の人についても聞いてみたいとも思ったが、まずは目の前の現実を把握することが先のように思えた。

 一通り自己紹介が終わると、話題は僕が来る前から話していたキャンプについてのミーティングの続きのようであった。
 僕は自己紹介でとおると名乗ったとなりの人にそっと、今日招待されたのは僕だけなのかを聞いてみた。
 「招待状は当時の記録にそって全員に送ったんだけど、結局返事があったのがココだけだったんだよ。」
 僕はそれがどういうことなのかを少し考えてみた。
 大半は今更そんな古い事柄に関わらないというところだとは思えたが、しかしあれだけの人数が関わっていたグループなので、もう少し違う理由もあるような気がした。
 それに、大学生の人数もだいぶ少ないように思えたし、事務所にしても小ぢんまりとしてあの大人数でキャンプをした面影がそこからはどうしても見いだせなかった。
 そういえばかずし君を始め何人かの人は大学生ではないはずで、スタッフの摘要もよく分からなかった。
 
 僕がそんなことを考えているうちにも、話は順調に進んでいるようであった。
 すると、突然
 「ココはキャンプに参加出来るよね。」
 まさか僕に質問が来るとは思っていなかったので、少したじろいでしまったが
 「夏休みには帰省する予定なので、行けると思うよ。」
 と答えた。
 「大学はどこなの。」
 「東京だよ。」
 
 後で知ったことだが、僕同様地元を離れて下宿をする人が何人もいて、みんな夏休みに帰省して、このキャンプに臨むという訳であった。

 「東京なんて近いぜ。」
 かずし君から念を押されたようだったので、僕も一応といった様子で
 「でも、入学して見ないとまだ分からないところはあるから。」
 と、言い添えておいた。
 すると
 「大学一年なんて先に予定を入れちまえば、後はどうにでもなるって。」
 昔と変わらないかずし君のその乱暴なもの言いが、僕にはとても懐かしかった。


 結局、その日に話し合ったことは、僕にはほとんど理解が出来なかったが、再会の挨拶程度で行ったはずの僕がそのままキャンプに参加することになったばかりか、その流れでひとつの班の責任者にまでなることになってしまったようであった。



 その時の、とまどいの気持ちを払拭できないままに僕はキャンプ当日まで引きずっていた。
 それは僕の問題であって、少なくても班の子たちにはそういった雰囲気を悟られてはいけないと分かってはいたが、どうしても僕の中で消化しきれないものがあった。
 
 その時に前方からあつしが駆けてきた。
 「ココ、ちょっと来てよ。」
 あつしに呼ばれるまでもなく、僕は前方の険悪な様子が見て取れた。
 まさことジュンタが何かを言い合っているようであった。
 
 「どうした。」
 故意にのんびりした様子を演出して僕はどちらともなく問いかけてみた。

 「私より前に出るなって言ってるのに、ジュンタが先に行くから注意をしたんだよ。」
 「だって、歩くのが遅いから前の班から離されてしまってるじゃない。」
 ふたりとも譲る気など全くないようであった。
 「キャラコの足並みに合わせてるんだから仕方ないでしょ。」
 「だったらキャラコのことはココにでも任せて、自分は先頭の役割を果たしてしっかり歩けばいいじゃない。」
 確かに一理あるようであった。
 「キャラコだって一生懸命歩いてんだから、そんな無情なことを言わないでくれる。」
 「でも、前の班の子たちはあのスピードで歩いてるよ。」
 そこまで聞いて、これ以上は埒が明かないと判断すると僕は
 「じゃあ、先頭を代ろう。今からジュンタが先頭。」
 後は有無を言わせない厳しい表情で促した。

 当然、納得はしていない二人だったが、それでもとりあえずは僕の指示には従ってくれるようであった。
 僕は今度は本当にため息をつくと、班の最後尾から全班員を見守るようにして歩き始めた。

 
 
 スタッフは春休みの内に頻繁に打ち合わせを行った。
 それは、僕たち県外組がまだ地元に居るうちにという配慮からのようであったが、打ち合わせには出ていても、それは僕には決まった事柄に同意するだけの退屈な作業でしかなかった。
 かといって、僕にアイデアや意見があろうはずもないので、せめて状況を把握することに執心していた。
 しかし、今度は状況が理解出来てくる程に、多くの理由が解らなくなっていった。

 僕のような初心者がひとりで班を引率する必要があるのか。

 帰省出来ない引率者の班は、他の引率者が夏休みまでに行われるミーティングを代行するというが、それならば最初からその二つの班をひとつにまとめてしまわないのはなぜなのか。

 それ以前に班ごとのミーティングというスタイルは本当に必要なのだろうか。
 
 ほとんどの人が現地についてはもうすでによく知っているから、下見は行ける人だけで行けば良い、とのことだけど、本当にそれで良いのだろうか。

 だいたい企画をしている中心的な人たちが、どうも仲違いしているように思えるのは気のせいなのだろうか。

 僕は日を追うごとに気が重くなっていくようであった。

 そこで思い切って、このような状況で子どもたちを引率することは僕には荷が重すぎる旨を申し出てみた。
 すると
 「やる前は不安に思うかもしれないけど、実際に行ってみると結構うまくいくもんだよ。」
 「挑戦する前から尻込みしていたんじゃこの先の人生も覚束ないぞ。」
 「俺たちを信じろって、こうやって何年もやってきているんだから。」
 などと、宥められ賺されて、結局僕の意見が反映される余地は無いようであった。
 
 僕は、本当にこのキャンプに参加するべきなのだろうかと、迷ってしまった。
 だから、少し考えさせてくれとだけ言い残して、その日は先に帰ることにした。



 常に注意をしていないとコウスケとバトはどんどん歩くのが遅くなって、列から遅れてしまいがちであった。
 「前に追いつこう。」
 と、一言いえば、すぐに急いで前には追いつくのだが、相変わらず話に夢中になっていて、周りのことなど目に入らないようであった。
 班の他のメンバーも、二人については何か見極めているのか、特に話しかけることもなく、眼中に無いかのようにふるまっていた。

 僕は試に二人に話しかけてみた。
 「なぁ、コウスケとバトさぁ、他の班の子たちとも話をしたら。」
 「向こうに着いてから徐々にそうしていくよ。」
 バトのよどみない回答にコウスケも頷いた。
 
 「でも、キャンプの三日間なんてあっという間だからな。」
 一応念を押したつもりだったが
 「そうだね、後悔しない三日間にするよ。」
 再びバトが答えるのだった。

 頭は良いのだろうが、心に響かないそのやりとりが、心配性な僕を再び遣り切れない気持ちにさせるのだった。
 
 どちらかと言えば天衣無縫な子どもだった僕が、心配性で口うるさい性質の大人になるとは、当時の大学生たちは想像していたのだろうか。
 
 また、この子たちはどういう大人になって行くのだろうか。
 案外、落ち着きが無いようでいて、要点を押さえて質問をしてくるあつしなどはしっかりとした大人になるのかもしれないなぁと想像を膨らませてみた。

 すると、そのあつしがもう何回目かの質問をしにやってきた。
 「ねえココ、いつになったら着くの。」
 「もう、でもだいぶ進んでいるはずだよ。」
 「そりゃあ、これだけ歩いてきてだいぶ進んでいなかったら困るよ。」
 僕はあつしのその素直さが滲み出るような答えに、思わず笑みがこぼれた。

 その時、再び前方が騒然とした。
 僕は急いで駆けつけてみると
 「どうした。」
 僕の問いかけに
 「キャラコがもう歩けないって。」
 まさこが代弁をした。
 ふと見ると、普段は笑顔が絶えないキャラコが泣いているのだった。
 「とりあえず、休憩をとるように言ってくるよ。」

 僕は列の先頭に事情を話すために、駆け出して行った。
 


 僕が東京に引っ越しをする三日前に同じ年のとおるから電話があった。
 これまでのミーティングでなんとなく隣に座ることが多かったので、僕は勝手にとおるには親近感を感じていたところだった。
 「県外組の壮行会をやるから、今晩出ておいでよ。」
 僕は前回のミーティングの経緯があったので、何となく後ろめたいような気もしたが、折角の好意でもあるし、いろいろと聞きたいことなどもあるので、出かけていくことにしたのだった。


 待ち合わせの場所に着くと、とおるが先導して一軒の貸家へと導いて行った。
 「ここ、誰の家なの。」
 自転車を留めて玄関口に向かおうとするとおるに聞いてみた。
 「鉾田さんちだよ。」
 僕は、すっと懐かしさの風が胸を通り抜けて行くのが感じられた。
 会いたかったうちの一人とようやく会えるようであった。

 「こんばんは。」
 まるで我が家のような要領でとおるは先にどんどんと上がって行った。
 僕も後をついていくと、部屋の中はもうすでにすし詰め状態で、ようやく場所を見つけて座ることが出来るようであった。
 
 「よう、ココ久しぶりだな。」
 何だか昔とちっとも変っていないように見える鉾田さんの笑顔がそこにはあった。
 「鉾田さんもお変わりなく。」
 僕の照れた様子の挨拶に
 「そうか、お前もそんな大人の挨拶が出来る年齢になったんだな。」
 と、しみじみと言うのだった。
 そんな雰囲気にあえて水を差すかのような勢いで
 「再会の挨拶は、乾杯をしてからにしようぜ。」
 かずし君は早くビールが飲みたい様であった。

 僕はコーラをコップに注いでもらって乾杯の準備をした。
 そして、乾杯とともに勢いよく喉を鳴らす音が響き渡った。

 「お前ら、夏休みになったら早く帰ってこいよ。」
 「向こうで彼女なんかつくって、居座るようなことになるんじゃないぞ。」
 などと、激励とも冷やかしともつかぬ声が飛び交った。

 
 暫くは飲み食いや冗談で満たされていた部屋も、徐々に落ち着き始めたころに、こうた君が隣に来て僕に話しかけてきた。
 「よう、ココどうした、まだ悩んでるのか。」
 僕が責任の重さと、予定調和的なスタンスに疑問を抱いていることを言っているのだった。
 「うん、正直答えが出ないんだよね。」
 僕の表情を読むようにして聞いていたこうた君だったが
 「結局はやるかやらないかという二択になると思うけど、より後悔をしない選択をするなら、俺なら前向きな方を選ぶね。」
 「うん。」
 こうた君の言葉を頭の中で反芻しながら、相槌を打った。
 「その上で失敗したとしても、それを教訓として自分の中で昇華させれば良いわけだ。」
 「取り返しのつかない失敗をしたとしても。」
 僕はこうた君の厳然たる姿勢を揺るがしてみたくなって、ちょっと混ぜ返してみた。
 「それを考えていたら前には踏み出せないし、あとは自分と仲間をどれだけ信じられるか、というところだと思うな。」
 僕の試みは全く無意味であるようだった。
 「それにもし誰かが自分の中の百パーセントを求めたら、グループとしては何も出来ないぜ。」
 まるで後輩に説教を始めるような口調になり始めた。
 「お互いが良心と妥協を持ち寄って積み上げる活動をグループワークと呼ぶんじゃないかな。」
 言いたいことは分かる気がするけど、僕はその悟り切ったような言い回しに正直辟易しだした。
 「わかった、ありがとう。」
 僕の早すぎる納得具合に一瞬不審な表情をしたこうた君であったが、すぐに笑顔で頷くと他の人の方へと移動していった。

 僕は一番聞きたかったことのためにかずし君の隣に移動した。
 「昔居たミミさんってもうやめちゃったの。」
 「ああ。」
 簡潔すぎる回答に僕は少し戸惑った。
 「今は何をしてるのかな。」
 「しらねぇーよ。高校以来だからな。そういえばお前と同じ時期にやめたんじゃなかったかな。」
 これで彼女が今でも関わっている可能性は全く無くなったようだった。
 僕は心のどこかで、かずし君とミミさんは恋人とまではいかなくてももしかしたら特別な関係なのではと思っていたので、そうではなかったことには正直安心したが、やはり消息が聞けなかったことをとても残念に思った。

 「当時、ココとミミさんが付き合っているっていう噂があったよね。」
 かずし君の隣にいたモモコが口を挟んできた。
 そのモモコを始め、今いる中ではとおる以外の人はほとんどが当時のキャンプには参加をしていたということであったが、あれだけの人数がいたことと、六年間のブランクのせいで僕は彼女たちのことは記憶には無かった。
 「ミミさんがそんなふうに言っていたみたいだね。」
 僕の答えをおもしろがるようにモモコは
 「ココ本人はどうだったの。」
 僕はわざと覚めた雰囲気で
 「まだ、小学生だよ。愛だ恋だのという言葉は知っていてもその自覚がある訳がないじゃん。」
 と、答えた。
 「そんなの個人差があることだよ。」
 モモコには僕の決めつけるような言い方が気に入らなかったようだ。
 すると、かずし君が割って入るように
 「いずれにせよ、今会ったところで、おまえらにすれば、もうすっかりいいババアだよ。」
 自分のことは棚に上げてそんな風に言ったが、かずし君なりに仲裁をしてくれたようだった。
 
 そんな会話をしていると、ようやくここには僕の居場所があるように思えてきたのだった。
 そして、この間から踏ん切りがつかなかった気持ちにもふと一線が引かれたような気がした。

 その時の感情を僕は未だにうまく表現することはできないけれど、僕の子ども時代は疾うに終わりを告げていて、でもここには過去から今に繋がる糸があって、訳もなくそれがそのまま僕にとって大切な未来へと伸びているように感じたからであった。

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1.思い込み

 ふたを開けると、鍋の中はすでに対流を起こしていた。
 ぐつぐつと煮えたぎっているその音は、僕たちの食欲を一層増大させているようだった。
 「さあ、もういいだろう。」
 という鉾田さんの声を待ちわびていたように、僕たちは交代で鍋の中を突いた。

 「今日は特にうまい魚が入っているからな。」
 鉾田さんの言葉は鍋の熱気以上に僕たちの心を温かくしてくれるようだった。

 しばらくは咀嚼することだけに夢中だったが、腹の中が少し落ち着いて来た頃になってようやくとおるが会話のために口を開いた。
 「これ何の魚なの。」
 と聞いてみると。
 「さあ、なんだと思う。」
 逆に聞き返されて、そのまま考え込んでしまった。
 「めずらしいものなの。」
 今度はモモコが聞くと
 「どうだろうな。」
 と、それにも鉾田さんは答えてはくれなかった。

 そんなもったいぶった言い方をする鉾田さんは珍しいので、これは何かあるなと僕はとっさに思った。
 そんな僕の思考を見抜いてか
 「ココはどう思う。」
 と、僕には鉾田さんの方から聞いてきた。
 「わかんないよ。」
 僕は既に、そんなことを聞いてきた理由の方に興味が移ってしまっていたので、先を急ぐようにさっさと答えてしまった。
 そんな僕の様子をどう感じたのかは分からないけれど、そこで鉾田さんは、しばらくは続きを話すことを止めてしまったようであった。

 
 それからは特に注意してその魚を味わってみたが、僕には普段家で食べているタラとの区別がつかなかった。
 もしかしたら僕が知らない魚なのかもしれないなぁ、などとなんとなく考えていた。
 そのまま黙々と食べ続け、ようやく鍋の底が見えて来た頃になって再び鉾田さんが先ほどの続きを話し始めた。
 「実はこれはタラなんだ。」
 「・・・?」
 一瞬虚を突かれた僕たちは咄嗟には言葉が出てこなかった。

 ようやくいつものせっかちなモモコに戻って
 「タラってあのタラ。」
 と質問を始めると
 「そう、そのタラだよ。」
 と鉾田さんも満足そうに答えた。

 僕の不意を突かれた感情が一瞬間狭隘になってしまい
 「だって特別な魚だって言ってたじゃないか。」
 ちょっと批難がましい口調になってしまった。
 「いや、特においしい魚だって言ったんだ。特別とは言っていない。」
 しかし、鉾田さんにスルリと躱されてしまった。
 「どっちだって変わらないじゃんか。」
 むきになって言いつのると
 「いや、よく考えてごらん。だいぶ違うから。」
 それは、高ぶった感情を鎮めるようにと言われたように感じられた。

 「今日のタラが何か特別なものだとか。」
 今度はとおるが引き継ぐと
 「いや、おいしいタラだけど、特別なものではない。」
 涼しげな顔で鉾田さんは答えていた。

 どういう風に考えて、どう質問をするべきなのか、思わぬ展開に出遅れた僕たちの思考回路はその方向性を見失ってしまった。

 「いいかい、俺は特においしい魚って言ったんだけど。」
 何か種明かしでもするようにゆっくりと鉾田さんが話し始めた。

 「それがもし、何か適当な珍しい魚の名前を言っていたとしたら、みんなはそれを信じたかな。」
 相変わらずモモコが真っ先に答えた。
 「たぶん信じたと思う。」
 僕ととおるも無言でうなずいた。

 「でもそうは言わなかった。」
 僕は試に言ってみた。
 「そう、嘘は言わなかった。」
 鉾田さんは少しだけ言葉のニュアンスを変えて答えた。

 「だけど、みんなは食べてみてこれはタラじゃないかって少しは思ったと思うんだけど。」
 それにもみんながうなずいた。
 「だけど、俺が最初に特にうまい魚だって言ったから、まさかそれが普段食べなれているタラではないだろうと頭の中で排除してしまった。」
 そこまで言うと、鉾田さんは一度僕たちの表情を確認するようにしてから話を続けた。
 「そこで固定観念に陥ってしまった訳だ。」

 「つまりは思い込みってこと。」
 僕が口を挟むと
 「そう思い込みってことだよ。」
 その言葉は鉾田さんの当を得たようで、僕は合格を知らされた受験生のような気持ちになった。

 「でも、その思い込みが何かと危うい。」
 話はまだその先があるようであった。
 「例えば、今、他の魚って言ったけれど、ぜんぜん違う動物や植物の名前を挙げていたらどうだったろう。」
 確かに、全く違うものだと思って魚を食べたりしたら、なんだかだいぶ具合が悪そうだし、おそらく鉾田さんが言いたいのは、鍋の具の話よりも、もっと日常的な警告なのだろうと僕は考えた。

 そんな僕の思考に割って入るように
 「やっぱり信じたんじゃないかな。」
 と、少し考えていたモモコが答えた。
 「どうして。」
 「だって鉾田さんが言うんだもの。」
 再び僕ととおるもうなずいた。
 「それはありがたいけれど、それもやっぱり思い込みじゃないかな。」
 そうだとは思いながらも
 「でもそんなこと言われたら人間不信になっちゃう。」
 僕は困惑の表情を浮かべた。

 「そうだね、持っている価値観を覆されるということは情緒的に不安定にさせられるよな。」
 三人ともにおそらく同じ表情でうなずいた。
 「それでも、俺たちは経験則を価値観に置き換えて生きている。」

 その意味を少し考えてから、試みに僕は言った。
 「熱湯は熱い。」
 すると続けて
 「タラはうまい。」
 と、とおるも言った
 「鉾田さんは嘘をつかない。」
 モモコの言葉を待ってから、鉾田さんはうなずいた。
 
 「だから、しっかりとした価値観を積み上げていくことは大切なことではあるんだけど、そこに先ほどの思い込みという落とし穴が潜んでいるという訳だ。」
 僕はようやく話の出口が見えたように思えた。

 「どうすればそれを防げるの。」
 とおるの質問に鉾田さんは声を出して笑い始めた。
 「それが分かれば俺は新しく宗教を始めるね。」
 今日の鉾田さんはやっぱり、もったいぶった言い方をするようであった。

 「結局、それを防ぐのは難しいってこと。」
 モモコが結論を急ぐように言うと
 「そう、それでもそのことを知っていて欲しいということだよ。」

 どうやら僕たちの見識を広げて、且つ思考を柔軟にもたせる為の鉾田さんの一芝居だったようだ。

 「それって二律背反しているね。」
 僕の言葉に
 「宇宙の真理か、人間の限界か、挑め若者よ。」
 今度は急に芝居がかった言い回しをする鉾田さんに
 「誰の言葉。」
 と僕が聞いてみると。
 「君の目の前にいる哲学者。」
 今度は悪戯っ子のような目をして答えた。

 「どちらかというと詐欺師に見える。」
 急に覚めた様子のモモコに慌てた鉾田さんは
 「でも、おいしい魚の暗示は効いただろう。」
 と、取り繕うと
 「いつもよりおいしくいただきました。」
 と、今度はとおるが笑顔で答えるのだった。

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第二章 追体験

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